自分の過去出生や親戚などを知りたいと思って調べ始めたyajapaに遺産相続の手紙が来た。

今の時点の相続金額を確認(他に貸し金庫がある)すると、えーこんなに沢山とびっくりするほどの金額だ、これには参った、こんなに沢山のお金を残して死んだ叔母ちゃんを思うと辛い。

叔母ちゃん一人で子供もおらず朽ちた婆さんが残したお金だ。

亡くなった住所から住まいは公営団地だった、夫婦二人で中華料理店を営業していて夫が亡くなって自宅を売却、世田谷だから購入したときとは桁違いの値段で売れたのだろう。

叔母ちゃんお金使わずに残してどうすんのよって、でも考えてみると日本いや世界中かも知れない、最後までお金を使えない世界なんだよね

死ぬまでお金残さなきゃいけない世の中、必ず残る、自分が働いてためたお金なんだからもっと使いたかっただろうにね、残す子供や付き合っている親戚もいなかった? 孤独死だからね

なんかいい方法はないのか? (有る! だが日本には無い、ものすごく良い保険それはトンチン保険今度書くよ)保険会社やってくれないか?無理だなー、損する奴がいっぱい出てくるからね。

そんな事を考えながら司法書士に電話していろいろ聞くが叔母ちゃんの詳しい話はわからない、どうも今の段階では遺産相続人調査までしか請け負っていないみたいだ。

どうせ来月には関西に行って友達や従姉妹と会おうとと思っていたので遺産相続の取りまとめをしている叔父さんに電話すると、なんか非常に変、(yajapaは虐げられた、ご幼少を送ったので) 結構敏感なのだ。

小母さんが電話に出て、取り次いだ時のやり取りがまずyajapaと呼びつけたりその声が迷惑極まりないという声だった、非常に不快感を覚えながら電話を叔父さんに変わってもらったがさすが叔父さんは土建屋の社長をしていただけある、そんなこと一つも感じさせない(その時はさすがの自分も間違ったのかと思ったがとんでもない役者だった)

yajapaが大阪に行くこと、そして現状を話し是非会いたい旨を告げると、叔母ちゃんの貸し金庫が世田谷の銀行に有るので開けて中を調べる、その時に会おうかという、yajapaは願ってもないので別に貸し金庫は行かなくてもいいがお会いしたい、日にちが決まったら連絡頂戴と貸し金庫調査の後でも前でもいいよとお願いする

叔父さんと会ったのは母が亡くなるちょっと前、今からほぼ半世紀前のことだと、話したが覚えていないようだった。

yajapaはしっかり覚えている、土建屋の社長をしていて随分景気の良い話をしていて、 「学校卒業したら俺の会社に来い」 と誘ってくれたじゃないかと言っても???だ さっぱり覚えてないんだなー

そう言えば継母だと判ったのはいつだったかなー?

あれは姉ちゃんが家出して男と暮らし始めてから随分と経った頃だった

yajapaは自宅にいても一人浮いていて、しょっちゅう 姉ちゃんのアパートに遊びにっている時だった、確か17歳の夏、姉ちゃんから、

「実は今母ちゃんが死にそうなのよ、あんた会いたでしょ?」と聞いてきた、 何だそれは?っと思った。

すっかり継母だということを封印していたyajapaは一瞬、「嘘だー何言ってんだ姉ちゃん」 

えっ?あんた覚えてないの、「うん、全然何言われてるかわからん」 姉ちゃんがyajapaと自分の環境を 説明、捨てられた

「えーそんな事全く忘れてたよ、なんで教えてくれなかったんだ?」 あんた知ってると思ってた。 

「今まで話題にもな~にもならなかったし、それらしいこと一言でも言ってくれなかったよ、2歳の頃だろ覚えてるわけ無いじゃんか」 

「俺なんかおかげで随分苦しんだよ、なぜいじめれれるのか?なぜ自分だけ待遇が違うのか?なぜ自分だけ??? 」

いつも、何が悲しのかもわからないし、なんとも言えない、いらいらつらさと、夢に見る昔のことで、誰にも言えないし、言う人もいないし、相談さえできないんだからな、やり場のない怒りで変になりそうだったよ

そう、あんたそんな環境だったの、継母は私には、あんたは可愛くないけど、yajapaの事は可愛いいって言っていたから、てっきり可愛がられてるとばっかし思っていたわ
 
そんな事有るわけないじゃないか、自分の子供がいるのにまして、俺長男だから、ほっといたら家とられると思ったんじゃないか、まさに邪魔者扱いさ

キツかったのは、継母本人はyajapaの面倒しっかり見たと思ってるてんだよ。 何言ったて平行線ってやつだ、yajapaがどういう気持でどれだけ辛かったかわからんと思う、それでも酷いなー

「何があったの?」  
何があったのって姉ちゃん一緒にいてわからんかった?  例えばyajapa耳掃除一回もしたこと無いし、 小学校に入学した時は最初は時間割の準備してくれたけど、すぐにしなくなって、6歳の子供が学校時間割準備なんてできないよね

「学校の時間割どうしたのよ?」 
自分でもわからないけど、鞄家で開けたことなかったから全部鞄に入れっぱなしだったんじゃないかと思う。 継母と親父とその子供達は一緒の部屋でyajapaの部屋は姉ちゃんと二人でほとんど隔離されてたじゃないか。
 
何もしてくれないだけじゃないよ、小さい時継母が怖くて怖くて、毎日ビクビクしてたよ、ヒステリックにキーキー言われて震えてた、とにかく何にも逆らえないし、殴られたりしたわけじゃないから、何だかわからないし、全く逃場がなかったから、とにかく逆らわない、ゴマすりばっかりしてたよ、いつヒステリー起こすかわからないからね

「へーあんた苦労したのね。」 
よく言うよ、少しは姉ちゃんが面倒見てくれたら、もうちょい違った人生歩めたかもなー なんてったって覚えてるのは、座間で知り合いが誰もいない時、姉ちゃんについて行って、煩いと思ったんだろうな、ここで待ってなさいって行って、帰ってこなかったっリ、結構姉ちゃんも自分勝手でほとんど俺の面倒見なかったよどころか、いじめてたじゃんか 、いっつも俺一人でいた事覚えてるよ

そんなこと言ったって、自分の事だけで精一杯だったのよ 「ふーん 俺なんかまだ2歳で何が起きてるかさっぱりわからんのに急にいじめられたり、アレだけ可愛がってくれた人が誰もいなくなっちゃって、ほんと気が狂いそうだったよ。

そんなこんなを話しながら大阪の池田に母ちゃん見舞いに行った。

驚いた、何回も何回も夢に見た家が目の前に出てきた、これだ、これなんだこの家をずーっと思い浮かべて,何だかさっぱりわからなくて、夢に見ては不思議な気持ちになって涙出たり、苦しくて辛かったんだ、何の夢見てるかさっぱりわからなかったから

その夢は毎回同じで沢山のお兄ちゃんと、いちご畑をyajapaが走り回って、兄ちゃん達と追いかけっこをしたり、女の人におんぶされながら畑仕事をしているシーン、側には川が流れ、その川をじーっと見ている

そのシーンと違ったのがいちご畑がない、どうしたんだろう?

家に入ると婆ちゃんが出てきた、yajapaの顔を見た途端に涙ポロポロで終いに声だして泣き出した、姉ちゃんに聞くと心配で心配でしょうがなかったそうだ、ほとんど婆ちゃんに育てられたみたいだからな。
婆ちゃんと寧ちゃん
婆ちゃんと姉ちゃん まだyajapaは生まれて無いんじゃないか、4歳違い

覚えている、夢に出てきた女の人婆ちゃんだったんだ,yajapaはこの家で婆ちゃんに育てられたそうだ、婆ちゃんの涙を見ているうちに涙がでてきた。

しかし2歳の時の記憶を忘れずによく覚えていたもんだ、家の中も庭も、いちご畑だけは違ったが全て覚えていた。懐かしい、帰って来たそんな気がする。いちご畑も昔はあったそうだ 。

池田の家は昔から続く庄屋で相当な財産もあったそうだが、爺さんが博打好きで、すっからかんだとさ、yajapaの親父もここで隠れ住んで母ちゃんと結婚して、随分とこの一家の面倒をみたそうだが、駆け落ちしてからは子沢山の婆ちゃんは苦労したみたいだ。 そう爺ちゃんはやりたい放題やって早死にしたんだ。

それでも婆ちゃんは子ども好きで一番小さかったyajapaをほんと可愛がって育てたそうだ。このままこの家で育ったらどんな人生だったんだろう? 少なくとも愛されたんだろうな? 今頃土建屋の親父か?

母ちゃんを見舞う、部屋に入ると広い部屋に母ちゃんが寝ていた。がん末期で骨折もしているそうだ、ガリガリに痩せている。

この家を見た時と婆ちゃんを見た時との感動がない、複雑な気持ちだ、それはyajapaを捨てたと聞いたことと、再婚して2歳の子供がいることを聞いたからだ。

又不幸な子供が増えた、まして今回は妹でまだ2歳だ、yajapaが捨てられた時と同じ歳、母ちゃんがいなくてどんな辛い人生を歩むんどろう、ちょっと母ちゃんを酷いなーっと思ってしまったからだろう

楽しかったのは叔父さん達と一緒に日本海に泳ぎに行った事だ。

生まれて始めてアクアランングをした、叔父さん達の目的は遊びもさることながら密漁だ、アクアラングをしてサザエやアワビを一網打尽、派手な泥棒するなーっと思っていたが、すぐに漁船が来て盗った成果を持って海から上がれず、全て海の中においてきて、ぶーぶー文句を言っていた。

流石大阪の土建屋はやることが違うなーyajapaの周りには悪いこと平然とするような人間はおらずカルチャーショック受けたのを覚えている、泥棒と思ってないのがすごかったね

随分楽しい経験もした、親戚が集まって何かしたり遊びに行ったり初めての経験をした母ちゃん見舞いが終わった。叔父さんに誘われたのが嬉しかった、本当に土建屋になろうかと思った。

帰ってすぐに母ちゃんは亡くなったそうだ、葬式も告別式も行けなかった知らなかったんだ。

葬式が終わって随分立ってから姉ちゃんのアパートに行って知らされた。

もうなんにも感じなかった、池田の母ちゃん筋の親戚一同とはそれっきり連絡も取り合って無いしそこで完全に切れた。ほぼ半世紀だ、婆ちゃんには会いたかったよ、夢にまでてくるひとだから

叔父さんに電話してから一週間ほどしてから司法書士から委任状に捺印の依頼書が来て捺印返送

これで銀行の貸し金庫が開けられる、ちょっと嫌なことを考えてしまった、叔父さん達が連絡をくれたのは、銀行の貸し金庫を開けるため仕方なく委任状が必要でyajapa達兄弟にコンタクトをとったのではないか?誠意で連絡なんてありえない?

yajapaは親父が死んでしまって感傷的になっているんで、人の本質を忘れてる? なんてことも考えながら叔父さんが東京に出てくる日待ち。

それから叔父さんから連絡が来て成城で合うことになって喜び勇んで出かけて行った。 さてyajapaを待っていたのは? 又貸し金庫の中は何が入っている?

遺産相続パート3に
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